知らしめるためのブログ ~akiLaの日記~

主にお知らせ、それにまつわる物事についてつらつら書きます。

爆笑問題のこと。

FacebookTwitterに書いたことでもあります。

厳しいことを書くんですが。
僕が個人的に「こいつはバカだな」と思う連中がいます。
それは、ある人の自虐ネタを真に受けるひと。
「冗談だよ」と言ってもまだ信用してくれない、
幼稚で、文脈判断もできない、はっきりいって社会不適格なバカヤロウ。
僕の友達にも、知り合いの人にもそんな人は一人もいない。友達でも、知り合いでもないたった二人を除いては。

爆笑問題のラジオを聴いて、久々に他人の怒りや悲しみが伝染するあの感じを味わいました。
週刊誌、こんなん、太田の昔の自虐ネタをまんまパクって記事書いただけじゃねーか。

太田光は、まわりに暴言をはいたらそのあとすぐに自虐ネタを絡めて田中にも突っ込まれてる。それがあの人とか、自虐で笑いをとる人たちの自由と責任の取り方なんだよ。

普段、表現の自由を語る人が、いっさいこの話に触れないのは何故なんだ。そんな姿勢は偽善者そのものじゃないか。
「お前らのせいで日本の文章書きのレベルがさがんだろうが!」くらい言えと。

気になったらradikoで聞いてください。
怒りと悲しみが込み上げてくるのに、当の本人が笑いに変えてしまう不思議な人間味があります。



たぶん、この話題が思ったよりも炎上しないのは、
太田光はしっぺがえしを食らった、と考える人が多いこと。

②週刊誌のネタなんかどーでもいーし、ラジオなんて聞かねーから、太田と田中の虚しさとか怒りとか、を感じない人が多いこと

が大半の原因だと思うんですが
僕は、今回のことはプロアマ限らず、自虐ネタで笑いをとってきたような人は必ず琴線に触れる事件だと思います。

僕なんか、変な顔と小さな背だけで笑いをとってきたような生き物ですから、
自分がぽろっとこぼした自虐ネタがとんでもないことになっちゃって、いろんな人に迷惑をかけてしまったら、顔色だって悪くなってしまいます。

しかしながら、今思うに、それこそ、そのような自虐ネタこそ、僕の目指す「昇華」の概念にたどり着くキーなのかもしれない。
自分のコンプレックスをさらけだして、人を幸せにする。こっちには妙な爽快感が残り、場合によってはお金も手にはいる。

そういう自虐という形での「昇華」体験を、みーんな、やってきてねーんじゃねーの?
というのが素直な感想です。

太田光が、小倉キャスターのカツラネタについて本人に切り込んでいったとき、僕は、感動さえしたようなしないような(笑)
「本人に言いたい!言いたいけど言ったら大変なことになる!でも言う。」そして生放送で謝罪。とっても面白かった。

相手に言いたいことを暴露してしまうというのも、心の抑圧の解放と言う点で、コンプレックスの昇華に似ています。

演劇人が「あれをやったらみんな怒るよなあ…やっちゃダメだやっちゃダメ、でもやる。」と考えて、全裸血まみれ全編アドリブでぶっとおしちゃう。
そんなドライブ感と通じるようにも思われます。

コンプレックスの昇華なんだよなあ。僕のやりたいことのひとつは。