知らしめるためのブログ ~akiLaの日記~

主にお知らせ、それにまつわる物事についてつらつら書きます。

まあさマイムワークショップに参加しました🙋

12月8日、まあささん@maasaTw  というパフォーマーのかたのマイムワークショップに参加しました✌

僕自身、ノンバーバルコミュニケーションについて自分のなかで大きなテーマにしています。

ノンバーバルコミュニケーションや、声の高低や強弱のみで何がどこまで伝わるか、または観客に何を想起させるか、ということが僕の中で大きな問いになってるのはどーしてかとゆーと、
グローバリズム同様、世代間コミュニケーションでも齟齬が起きる現代において言葉にならないコミュニケーションが大切になってくると思うからです。

それもあって、どこの国の言葉でもない言語を話す役をしたことがあります(笑)

それほど、言葉を使わない表現にたいして非常に興味があったときに、Twitterでワークショップのお知らせがあり、申し込みをしました💂
「壁のアレとかエスカレーターのアレ的なパントマイムかな!」と思ったら、

とてつもない、すごい次元の、それでいて、飢えていた自分に火がつくような、時間でした。
凄まじきとこに、来てしまった。

内容については、もちろん身体動作に主眼を置くワークでしたが、忘れていたエッセンスをいくつも思い出させてくれました。
そのように復活した、数々の生理感覚においてもっとも重要なのは呼吸です。
呼吸は生きる人間にとって不可欠です。
ゆえに、呼吸を振り付けのようにパフォーマンスに盛り込むことで、その表現が、「じか」なもの、のっぴきならないもの、になります。
間もつなげます。
あとは、個人的な肉體への捉え方、パーセプションでしかありませんが、
呼吸をすると、頭蓋が広くなり、脳も緩むような、そんな感覚がむかーしからあります。
僕の身体にたいする見解は、
脳も體の一部であり、身体中の神経細胞もまた、脳の役割をしている、そんな感じです。
「身体ー脳」という対立構造図式ではなく、身体のなかに脳も含まれている、そんなかんじ。

そうなってくると、僕はよく、ワークショップとかでも、「アンギラス」の話をします。

アンギラスとは、ゴジラが初めて戦った怪獣です。
恐竜でいうところの、アンキロサウルスのように地面にお腹を這いつくばらせて四足歩行する、身体中トゲトゲの怪獣です。

ゴジラがゆっくり動くのにたいして、アンギラス
めっちゃはやく動けます(そういう設定)
だからゴジラが攻撃を当てられず、苦戦を強いられます(そういう設定)

じゃ、なんでアンギラスは速く動けるかというと、
なんと、身体中に脳味噌があるからです。
あるんです!(カビラ)

だから、手足やしっぽなどにも頭脳がついており、それぞれ繊細な動作を可能にするため、素早く動ける、そんな屁理屈が理由です。

ぼくは、上記のような身体観が、とても好きです。実感を伴ってるからです。
今回のまあささんのワークショップのように、呼吸をすることで、脳を、體を緩ませる、そうするといいアイデアが生まれるし、無駄なリキミがないから流れるような表現もできる。
そういうことを大事にしてた自分を再発見し、今後も大事にしようと思いました✨

そのあと、自由ヶ丘のカフェにまあささんと参加者の皆さんでいきました。
自由ヶ丘という言葉を聞いただけで、まだ上京して1年の僕は「年収2000万以上の人しか入っちゃいけない街や…」と恐れおののいておりましたが、楽しく、深く、豊かなお話ができて、よかったです。

その話のなかで、演劇教育のことが挙がりました。
演劇教育は公立私立、小中高大関係なく必要であり、効果があります。いろんな効果がありますが、僕は多様性への対応に、演劇教育ならではの教育的メリットがあるように思います。

多様性の例としてまずひとつに外国のかたとの関わりかたがあります。外国人労働者流入が容易になった昨今、外国生まれの子供も日本にどんどん増えるでしょう。そういう、日本のルールを前提としない相手にたいして、どのように接するか?

二つ目は家族の多様化です。
自民党のなかにも、野田聖子河野太郎あたりが(限定的ですが)選択的夫婦別姓が現代に適合する制度なのではないか、と考え、それを発信できるくらいの世の中になりました。
そして、僕自身、両親の離婚や再婚で、苗字が数回変わってます。それと同時に家族という形式もいろんなものがある、と痛感?(笑)実感しました。
「家族っていいよね!実家大好き!」な人もいれば
「家族より友達の方が好き」「家族のなかでも〇〇は好きだけど××はキライ」「家族を知らない」そんな家族観の人もいます。伝統的価値観が崩れ、これまた多様化してる。

三つ目は、性の問題。
LGBTが社会的に取り上げられていますが、その見方は世代や個人によって全く異なる。たんにおじいちゃんおばあちゃんだからとて、理解がないわけではない。
「身体的特徴はあるけども、自分には性がない」と思う人もいるし、「自分は人間よりも好きなものがある」と考えて、建物と結婚した人も海外に実在します。性文化にも単なる男女の二分化では追い付かない現実がある。


ぼくは、自分が知らない世界の人間を知り、どのように対応するかのシミュレーションとして演劇教育はかなり効果があると思います。
例えば女の子の友達Aに「彼氏できた?」って聞いたときに
「もしもAが女の人が好きだということをずっと隠してたら?」みたいな、「もしものシチュエーション」を生徒に与え、演じて見せることで、ペーパーテストではない、ほんとの意味の多様性への理解が促進されるように思います。
「彼氏できた?じゃなくて、好きな人できた?って聞けばいいんじゃね?」
「じゃあ、『人を好きになる』ということがわからなかったら?そもそも人ではないものを好きになる人だったら?」みたいにシチュエーションの難易度を段階的に高めていったりしても、面白いかもしれないですが。

で、こんな演劇教育は、残念ながら学校の先生にはできません。てか、忙しすぎると思うので、やりたくなきゃしなくていいです。 
そのかわり、教員免許をもて余しながら生きている演劇人は沢山いると思うので、そのような「民間の活力」を導入してはくれんかね?
というのが、僕の今考えてるところです。

こんな感じかなあ。
とにかく、昨日のワークショップはこのように、思考の深化を発露させるような、たくさんの実りがありました🙋

また行きたいです‼f:id:akiLa:20181209172212j:plain