《センター試験 大学入試の記憶》
僕の通っていたN大Y形高校は、
母体の大学がタックル事件起こしたように、ならず者が集まる自称進学校(笑)であった。
山形東高校というスゲー頭いい高校のOBが
「あの学校のやつらは道に落ちてるものを食らう」と吹聴するような、虎の穴的な高校であった。(諸説あり。生徒たちが節分の日に恵方巻を万引きしたという説もある)
そんな高校の
「大学特進(笑)コース(笑)」に通ってた僕が志望大をあの大学にした遠因は高校一年4月。
高校生になったら演劇部にはいると決めてた。
が、あるとき一人の頭頂部が光ってる教員がこう言った。
「特進の生徒は原則運動部、吹奏楽部、演劇部には入ってはいけない、大学入試に落ちるから」
そんなことを言われた僕は
「なんだこいつ💥ザビ⚪ルみたいにハゲ散らかしやがって!」と
その日に演劇部の顧問に入部届けを出した。
ところが一年の頃は勉強が全然できなくなった。今思えば当然の結果だが、そのことで親に非常に苦しめられた。
うだつのあがらない一年生だったが、二年生、三年生となるうちに演劇部に後輩が入ってきた。
一人を除いて、みんな本当にいい子達だった。
だから、一人を除いて、後輩たちを大切にしたいと思った。一人を除いてwww
そんななか、二年生のなかばくらいに、こんなことを考えた。
「僕が一年の4月に教員に言われたあんな屈辱的なことは、今後入ってくる後輩には言わせない。そのためには、あの大学に入る必要がある」
ふざけたことをぬかしたザビエルみたいな頭の教員の科目は数学。演劇部に入ると落ちる、という命題に一つでも反例があればその命題は成り立たない。
僕がその反例になろうと思った。
そこから試験のことを考えた。
何はともあれ本番はペーパーテストだから、練習である毎日の勉強も
「紙に三回書く」ことしかしなかった。
数学の証明も三回、リスニング問題を解いたらスクリプトと模範解答を三回、現代文の小論文問題も模範解答を三回…ノートや無駄紙に片っ端から書いていった。
それがとんでもない伏線になっていたなんて、その時は全く予想してなかった。
受験勉強は孤独であればあるほどいい。でも、耐えられなくなる時が来る。
そんなときは
部室で漫画読んでる友達や、
しきりに新興宗教系の大学を薦めてくる友達、元旦も仕事をしてる先生などが心を緩めてくれた。
家族は千羽鶴などを折っていたが、正直、よくわからなかった。し、
自分の子供のことについて子供の前で神頼みをするということは、
本当は子供のちからなど全く信じていないのだ、というふうにしか受け取れなかった。
何はともあれ、僕はいい先生と友達に恵まれておった。
で、センター試験の本番。
51点。
一日目の数学1Aが、壊滅的な自己採点結果だった。
2Bも最悪で、最後らへんは時間がなくひたすらマークを埋めた。
今までの勉強で、答えとして「5分のルート21」という数値が多く出てくるということがわかってたから、分からない問題で分数の部分はその数字をマークした。当たってた。
数学が本当に壊滅的で、不安が高まり一日目の夜僕は深夜3時まで勉強してしまった。
そして、二日目の日本史。
僕は暗記科目は間違いの選択肢にツッコミを入れることで正誤判定していた。
「時代が違うだろ!」
「急にお前出てくんな!」
みたいに問題文にツッコむ。
7割くらい解いていた時、脳内ツッコミのキレが恐るべき原因で歯こぼれしてきた。
急激な眠気である。
メガシャキを飲んでたはずなのに。
眠気の原因はもちろん、夜中まで勉強しすぎたからであった。
左手の親指に鉛筆を突き刺す。
それでも眠気はおさまらない。
眠ってしまえばもしかしたら残りの3割を解けないまま試験時間終了まで寝過ごしてしまうかもしれない。
かといって眠らなければ文章も読めず頭に靄がかかるくらいの睡魔だから、正答はおろかマークシートを塗りつぶすことすらできない。
眠るか眠らざるか、それが問題だ。
悩んだ結果、眠ることを選んだ。
起きたときに10分、いや5分でもあれば全問スッキリした頭で解けるかもしれない。
根拠の全くない、賭けであった。
数分後の未来の自分の肉体を信じて目を閉じた。さらば、僕の意識。
ガクッ。
座りながら居眠りしてるやつがよくやる、恥ずかしい痙攣で目が覚めた。すぐに時計を見る、僕は10分程度しか寝てなかった。お陰で残り時間は15~20分程度あった。
僕の脳内は富士山の頂上ばりに冴え渡るツッコミを展開していく。
「源義朝と源義経間違えるか!阿藤快と加藤あいぐらい違うわ!ガハッ」
「そんな時に大臣変わんな!11月に冷やし中華始めましたみたいになってけどよぉ」
「ごめんねぇ~ゾロゾロゾロゾロ文章書いてあっけどこれ、『鳥羽伏見の戦い』じゃないのよぉ~」
僕の脳内ツッコミはくりぃむしちゅー上田のごとく炸裂していった。(諸説あり)
そのあとの教科もつつがなく終わった。けど、やっぱり数学があまりにも散々だったのでその時は本当に滑り止めの大学にいくことを覚悟した。
数日後、学校の三者面談のバンザイシステムで第一志望大にチャレンジできるということを知り、二次試験に向けて(数日気が抜けたけど)そのあとも頑張った。
それで、2月中旬くらいになった。
大学二次試験の当日。
受験会場で、参考書やワークを見ながら佐野元春の曲をウォークマンで聞いてた。
「仕事もテキトーに皆待ってる店までHurry up 」みたいな歌詞だった。受験直前なのにwww
僕のなかには怒りがまだあった。
勉強ちゃんとやってたら、部活がどんなにいそがしかろーと、目標に行けることを証明してやる。
そーゆー怒りがあった。怨の気持ちに満ちていた。
ところが試験開始直前、僕は一番前の席に座ってたが、問題用紙を配る女の人が、すさまじい色気を放っていた。
そのスーツはサテンでできてんのか?と思うくらい光沢のあるパンツスーツでピチッとしていたので、身体のラインが強調されていた。
20代後半くらいの眼鏡をかけた女の人に直接問題用紙を渡された僕はこう思った。
受かろう。(史実です)
試験開始。
英語はあまり記憶がないので、つつがなく終わったのだろう。
数学はやっぱ壊滅的。
というか、文学部の試験なのに数列的知識を要するものだった。だから、正直、2枚目は何も書けず白紙で出した。
奇跡は国語で起きた。
いろんな心ないやつ(特に野球部の連中)や親からもバカにされた、三回書いて覚える勉強法が、実を結んだ。
国語の現代文、小説を解こうとしたその瞬間僕は自分の瞳を疑った。
何故ならば、現代文の授業で、教科書内容とは別に生徒たちに渡されていたワークの問題がほぼそのまま出題されたから。
問題も、三回書いたものと同じ。
そして僕の手は、答えを覚えていた。
終わったあとには何も後悔はなかった。
これでダメならしょうがない。
結果は、合格。
ホームページで自分の番号を見ても、何かの間違いだと思った。
とりあえず、本当は不合格だった場合、訴訟になったときのために写メは撮っておいた。
入学式も、「一般人が会場に入れるから」という理由でその時点でも信じてなかった。
後日大学のオリエンテーションで僕の名前が名簿にあったとき
「本当に合格してた!」
って初めて実感したのをいまだに覚えている。
試験をお受けになるかたには
「高校のレベルが低いから…」
とかそんなこと考えずに知恵と記憶を出しきる。
楽しかったことや自分が好きなヤツラのことを思い出す。
試験という現状を面白がる。
直感を信じる。迷ったら最初に選んだ選択肢にマーク。
そういうことが伝わればよいなと思います。
そしてもっとも大切なことは‼
試験前日はよく眠る‼
俺みたいに左手に鉛筆刺したくないだろう⁉
緊張したらたらふく食って、カモミールティー飲んで布団に入れ‼🙇
だから、今日は、もうおやすみ‼💤
センター試験、いつもどおりの自分で頑張ってください👌